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沖縄と川崎市
昨日、「第74回沖縄芸能大会」が川崎市立教育文化会館でおこなわれました。
重踊流も毎年、横浜練場(志扇美智の会 会主:砂辺美智子)が参加しており、今年は『湊くり節』を踊りました。
川崎市における沖縄芸能は長い歴史をもちます。
大正の頃、今の川崎区富士見1丁目に富士瓦斯紡績株式会社川崎工場がつくられました。
その時、若い女性を全国から募集しました。
その中で最も多かったのが沖縄から来た人達であり、その後、沖縄からこれらの女性の親類縁者が移住し、彼等の間で故郷をしのぶ意味もあって沖縄芸能がしばしば行なわれました。
それが今日の沖縄芸能のもとといわれています。(川崎市教育委員会HPより)
芸能大会の主催でもある川崎沖縄芸能研究会は、昭和51年10月に神奈川県指定無形民俗文化財に指定されました。
こうした歴史をもち、川崎市ならびに近隣の鶴見区では、琉球古典芸能の活動はたいへん盛んです。
帰り道に、川崎駅前におおきな「石敢當」の碑(122センチ)をみかけました。
1960年の宮古台風災害に対し川崎市議会が中心になり、全市で募金活動が行われ、その御礼として当時の琉球政府から送られたそうです。
これも、沖縄と川崎市の縁のふかさを感じるエピソードですね。
2011年10月31日